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日中報道


by koubuni
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国旗

日本の国旗について、私の感触が変わってきた。
昔、中国で見た「抗日映画」の中の日本国旗はとても怖かった。その日本国旗は戦争・侵略などと絡んでいた。
そして、来日して、日常生活の中、めったに国旗が見えない。ただ祭休日の際、家近くの交番、また走るバスに掛けられている小さいな国旗を見て、「ああ、やっぱり普通の国旗だ」と感じていた。やっと、昔の怖いイメージがだんだん消えていった。
ロンドン五輪の時、水泳の北島康介選手がかっこよく出場する時、ユニフォームの日の丸を手で力強く握り、その仕草を見た瞬間、「日の丸を背負う」というスポーツ選手の感情を悟った。なんとなく、日本国旗に馴染をも覚えた。
多くの日本国旗が見られる日は1月2日、年賀の皇居一般参賀で、朝早い時間に皇居の外、大勢の参賀者は日の丸の小旗を持って、長い行列に並んでいた。その光景を見て、国旗と日本人の心、どのように繋がっているか、と考えずにいられなかった。
# by koubuni | 2012-10-16 21:39

大人世界の「いじめ」

 いじめという課題、最近よくマスコミに取り上げられている。
 勿論、学校内のいじめを断固反対である。
 どころで、大人世界の「いじめ」は、ちょっと複雑である。
 例えば、時々新人社員がいじめられると聞いたのが、それは本当に「いじめ」なのか…時々、考えてしまった。
 新人に対しては、厳格な姿勢といじめ、境目はどこにあるか、 時にはその一線を引くことは簡単ではないと思う。それは、受ける側には自分の心で決めることかもしれない。いつか、自身は心の準備と余裕ができていたかどうかが問われてくるものである。

 ある外国人が日本に来たばかり時、自分は周りの人に疎開されたか、と落ち込んでしまったことがある。
それを、「外」から「内」に迎えられる際に、受ける試練である、と考えてみたら、どうでしょうか。
# by koubuni | 2012-10-06 00:04

都心の米軍基地

 十数年前、最初日本にきた時、半年間西麻布にある親戚の家に住んでいた。最初、その周り環境に驚いた。住むマンションの隣は墓石の店がある。そして、後ろに青山霊園、4月に霊園の桜が綺麗だった。斜向こうに米陸軍基地、未だにもその英語と日本語の看板を克明に覚えている。親戚は「ここは東京の一等地だよ」とよく自慢していた。
 意外なのは、その「一等地」に高級マンションや芸能人よく出入り居酒屋、そして霊園と米軍基地、皆は共存している。霊園も米軍基地も都心の風景に溶け込む。日本は不思議な国かなぁ、と思った。その金網で囲まれた基地、私がそばに通って感じていた限り、いつも静かだった。

 昔から今日に戻り、米軍のオスプレイが飛び立った中、不安そうな目でオスプレイの飛行を見つめる人が少なくないと思う。どうやって、人々はその飛行機たちが平和を守ってくれると信じるか、それは課題である。平和時代の戦闘機、平和利用で人々を安心させるものになくてはならないでしょう。
# by koubuni | 2012-10-05 23:54

お付き合い

 「竹島は日本領と発言したら、韓国紙に極右作家と書かれた岩井志麻子さん(47)。韓国人の夫は愛犬を独島(トクト)と呼び、妻は竹島と呼ぶ。「痴話げんかはするけど本気ではやらない。夫婦関係も隣国との関係も、そういう約束の上で成立している。」
 以上9月30日の「朝日新聞」の天声人語に書いたものである。それは深い話だけど、最初読んだ時、思わず笑った。高い知恵を持つ国際カップルに拍手。家庭内、領土問題より家計の方が大事なはずだ。

 昨日、私は一人台湾からの留学生といろいろ話し合った。彼女が在学している名門私立大学の中、中国からの留学生も多い。彼女は多くの中国人留学生と仲良くしている。ただ、お互いに一つの約束がある。政治的な話をしないこと。例えば、「○○は○○のもの」とか。海外での青春放浪の大学時代、楽しいお付き合いはなにより大切だ。それで、どうしようもない重い話をやめましょう。

 日本に来てから、いろんな国の人と出会い、本当によかった。国籍・宗教・文化背景など違っても、あくまでも人間同士のお付き合いでしょう。ただし、日本人らしい人間同士のお付き合いは「どんな遠慮のない仲であっても、常に一種の演技がある」、という名言をもお忘れなく。
# by koubuni | 2012-10-02 21:36
初めてに日本にきた時、一つ驚くことは、日本各地に日中友好協会が存在すること、中国では、国レベルの日中友好団体があるのが、地方にはない。
数年前、私は神奈川県に在住期間、かつて県の日中友好団体のお年寄りたちに取材してきた。
そして、一つ壮大な物語を見つけた。
何人のお年寄りが日中戦争中に中国にいった鉄道・医療など領域の技術者。日本敗戦後、若い彼らは共産党から要請され、「留用された日本人」になって、八年間にわたって、シルクロードのところに、天水という町で鉄道建設に「技術者魂」を発揮していた。中国の建国に青春を捧げた日本人たち。実際に、残された日本人技術者は八千人とも一万人とも言われる。
「中国」、永遠に彼ら人生の中に刻まれて いる。価値観にも中国側から多大な影響を受けた。天水から帰国した技術者たちが、「天水会」を設立し、毎年一回みんなが集まり、現在でも白髪のお年寄りたちが必ず中国の歌を歌う。
...取材して数年経って今でも、時々、そのお年寄りたちと連絡をとっている。この間、久しぶりに何回も取材した今年80歳になった橋村さんと新宿の喫茶店でお会いした。橋村さんにとっては「悲しみも喜びも味わった中国は私の人生道場だった」。彼は定年退職以後、70代になっても、毎年数回中国へ、北京郊外、万里長城周辺の緑化に力を注いでいた。だが、昨年、彼は日中両国の間に便利に行き来するため、中国の永住資格を取ろうとして、中国政府機関に相談したが、拒否された。
「もう(中国)行かなくてもいい、ゆ っくり休んでください」と、私はそう言うしかなかった。
現在、日中関係は最悪の中、最も悲しまれているのは、すでに後期高齢者になっている60数年前の「留用された日本人」だと思う。
# by koubuni | 2012-09-30 21:57