日中報道


by koubuni
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再び西安を訪れてみませんか?―日本遣唐留学生墓誌と西安西北大学日本人留学生寸劇事件に思う―

 这也是两年前的旧作。
 二年前の作文です。

 最近、中国と日本のマス・メディアに、同じ内容のニュースが掲載された。
 中国陝西省西安市にある西北大学は、10月10日、中国唐時代(618~907年)に日本から中国に渡った1人の遣唐留学生が客死したことを記す墓誌を同市内で発見したと発表した。この留学生は奈良時代、阿部仲麻呂らとともに遣唐使の一員として中国に渡ったと見られる。中国で当時の日本人の墓誌が発見されたのは初めてである。墓誌は、ほとんど知られていない遣唐留学生の実態を伝えており、日中交流史の新たな側面を浮き彫りにする貴重な発見と言える。
 墓誌は西北大学博物館の収蔵品の中にあった。一部の文字は判読できないが、「姓は井、あざな(名)は真成。国号日本」とはっきり読み取れ、開元二二(七三四)年正月に三十六歳で死去したとある。礼儀正しさは比類なく、たゆまず勉学に励んだ努力家であったと称えられている。ときの玄宗皇帝は、英才の早世を悼み「尚衣奉御(皇帝の衣を管理する官位)を贈った」とも記されている。
 私はこの日中友好史話を読んだ後、ちょうど一年前に起きた、西北大学での日本人留学生寸劇事件を思い出した。
 昨年の秋、西北大学で開かれた文化祭で、日本人の男子留学生3人と教師1人が寸劇に出演した。寸劇の内容が中国を侮辱するものだと受け取られたため、翌日朝から中国人学生が留学生に謝罪を求めて抗議活動を開始した。留学生が「これが中国人だ」と書いた札を下げていた、という香港紙の誤報もあって、「中国を侮辱した」という不満が学生たちの間に急速に広がり、間もなく数千人の学生デモが発生し、激しい反日事件に発展していった。
 唐時代と現代の日本人留学生は雲泥の差だ。唐時代の日本人留学生については、彼が中国の伝統と文化を尊重し、懸命に勉強する姿が想像できる。彼は中国皇帝に褒められたというが、それとは正反対に、21世紀初めに中国西安に留学していた数人の日本人留学生が中国から追い出されてしまったことは本当に残念だ。彼らは中国と中国文化をよく理解していなかったのではないだろうか。異文化理解と交流は異なる民族同士が心を通わせるための最もよい方法なのだ。
 もし遣唐留学生墓誌がもう1年早く、即ち西北大学での反日事件前に発見されていれば状況は違っていたのではないか。あの寸劇を演じた日本人留学生たちは先人の業績を見て、どのように中国の文化を学び、民族の習慣を尊重すべきかが分かったのではないか。一方、中国の「反日大学生たち」も日本からの遣唐留学生墓誌に教わることがあっただろう。中国で学んでいる日本人留学生に対して、決して「帰れ」と言ってはいけない。それは中国の大学生の「恥」なのだ。この事件が起きた当時、私は東海大学の大学院生だったが、西安反日事件の直後、数人の東海大学の学生は、西安へ行き、真実を確かめたいと私に言った。その時、彼らと一緒に西安へ行こうと考えたが、安全のことを考えて結局行けなかった。複雑な気持ちだった。
 中国唐朝の貞観年間から、日本から中国へ「遣唐使」が派遣されていた。回数は13回という。唐朝時代の開放的な気風は今なお世間の人に語り伝えられている。先人はよく八方からの来客を心から温かく迎え、優遇した。そのことによって、唐朝時の中国は、当時、世界中で一番隆盛な国とみなされていた。西安の大学生たちは先人の行為に学ぶことが多いはずだ。そして現在の中国は昔の中国に学ぶべきことがたくさんあるだろう。
 昨年、悲しみを抱きながら西安を離れた日本人留学生に話したいことがある。―「今後、機会があったら、是非再び西安を訪れてください。そこに、あなた達の祖先の足跡を探して、遣唐留学生墓誌を仰げば、新たな想いが得られるでしょう。あなた達にとって西安の記憶は恐ろしいものだと思いますが、西安は怖い都市ではありません。もう一度西安をじっくりと味わうと、あなた達は祖先と同じ結論を得るかも知れません。西安は文化の味を満たし、親切に遠方の来客を抱擁する美しい都市なのです。」と。
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by koubuni | 2006-02-26 11:47