日中報道


by koubuni
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愛のかたち 

 想当年很有小资情调,在大学校园里,与那些少男少女同伍,我常常有年龄错位的感觉,以为自己还青春年少,以为还有一场轰轰烈烈的恋爱等着自己……有梦总比无梦好吧。


 愛のかたちが見えないものでしょう、ただ感じられ、味わえ。
 初めて「日本では恋人はいっしょに食事をした後、別々に自分の分だけで支払い」ということを聞かれたとき、 本当に吃驚した。中国で恋人の食事は、一人で支払うのが普通である。「もし二人は別々にしったら、変な感じじゃないか?」これはある中国の女の子の見方だった。レストランで自分が財布を持ち支払いにいく、それは恋愛中の中国男性の紳士的姿だね。
 私は好奇心が強いので、それは日中の異なる愛の「かたち」についてある日本の女の子に問いかけた。彼女はとても真剣な思考した後、「大学生の場合は、自分も、相手も、お金がたっぷりあるとは言えない。自腹でいいじゃない?働いていても恋人の間に財政は別々とする。それ男女平等じゃない?」と答えた、この解釈はとても賢いと思う。感情問題と経済問題どちらも留意しなければならない。愛はいくら深くても、夢を追うだけではなくて、現実と直面することも忘れないようして欲しい、だから、重荷を分担するように財布も平等しよう。ここから見ると、日本の恋人同士は中国より理知的なのだ。
 もう一つ「愛の形」に関する物語を取り上げよう。ある中国の女性が10年前日本人と結婚した。彼女がラブストーリーを取材していた私に自分のことを教えてくれた。「夫は典型的な男性中心の物の考え方を持っている人。夫婦一緒に出かけた時夫何時も私の前に大きい足取りで歩き、二人の間にずっと二三歩の距離があって・・・そういう小さなことに気が付いたのは可笑しいかも、でも自分本当の気持ちは夫婦が肩を並べて歩いて欲しい・・・」それで、ロマンチックな彼女は夫に中国の古典的な愛情詩をあげて、解釈もしてあげた:「執子之手、与子偕老」というのは、「君と手をつなぎ、老いるまで連れそう」である。しかし、「夫は相変わらずにひたすら一人で前へ行こうとする・・・」愛情詩の効果はなかったのだろうか。やっと「ある日、夫婦が大通りを横切るとき、周りは人の群れでいっぱいだった。その時、夫が突然に私の腕を取って、急いで人混みの中に割り込んだ・・・」勿論、彼女はその瞬間かつてないほど感激した。肝心な時、愛されていることをはっきり感じれば人生の最高でしょう。そして、彼女は自分が希望していた「肩を並べ、手をつなぎ」など「愛の形」がなくても「愛の内容」を確認したので、安心できたのです。
 異なる教養・言語・宗教・生活様式と人々の性格によって、「愛の形」は色々で表現とも様々であろう。例えば、感情を表すことに関して欧米の人はアジアの人より熱烈なようだ。日本と中国は近くても、また微妙な差異が存在している。「愛の形」ということから文化的心理的民族的異なるも見ることができる。
 昔は離れている恋人の間に手紙しかないで愛情を伝えていた。その後、電話が発明されて連絡が便利になった。現在の携帯電話写メールの誕生は恋人にとってはもっと役に立ちそうだ。しかし「インターネット愛情」に対して、私は疑いを抱き続けている。二人はお互いに顔にも知らずにインターネットで恋を語る、そういう形の「愛」は真実だろうか。伝播技術と連絡手段がいくら進歩しても、感情に関することはあくまでも対面直接的コミュニケーションが大切なのである。
 映画「タイタニック」が描いた世の中をびっくりさせるような愛のストーリーはとても感動なのだが、われわれ平凡な人間は、平凡な愛を追求している。「愛の形」はやはり自然的質素なものが最も美しいでしょう。
 最後に一つ、強く印象を残っているかつて目にした光景を描いてみよう。秋、黄昏の公園の一隅、夕霞の光が大地を柔らかく照らし、すっかり銀杏も黄金色に染まり落ち葉の絨毯が敷き詰められていた。一組髪が白くなった老夫婦が手を繋ぎ、ゆっくり散策しながら、囁いたりして、愉快な笑い声が聞こえてきた。
 その風景が、本当に、私たち見る者の心の琴線に触れた、何か豊かなものにしてくれたようだった。
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by koubuni | 2006-02-26 11:32